天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第116号

祖師先徳鑽仰大法会の円成を願って
天台宗と日吉大社、神仏合同で祈願

大法会イメージソングの奉納も
 
 天台宗祖師先徳鑽仰大法会の円成を祈願する「神仏祈願法要」が、九月二十九日に延暦寺で行われた。同日は、ヴォーカリストの森友嵐士氏による大法会イメージソングの奉納があったほか、舞踊家、坂東寛二郎氏による日本舞踊の奉納も行われた。

 「大法会円成神仏祈願」は天台宗と日吉大社による神仏合同で行われた。
 延暦寺書院から日吉大社氏子の担ぐ御輿が出発し、根本中堂前広場に鎮座されたのち、馬渕直樹宮司が祝詞を奏上。続いて阿純孝天台宗宗務総長(大法会事務局局長)が導師となり、大法会の無事円成を願って法要が行われた。
 この後、代表者らは玉串を奉奠した(写真)。
 続いて「大法会イメージソング奉納法要」が根本中堂において武覚超延暦寺執行(大法会事務局奉行)が導師となって執り行われた。
 阿局長は「十年間にわたる大法会の準備をしていた昨年に東日本大震災が発生し、福島では原子力事故が起こり、安全であることの信頼が崩れ去った。生活が豊かに、便利になることは誰しも望むことだが、そのために私達は自然を物質とみて利用し今日に至った。その結果、私たちの生命を育んでいる地球の自然環境が破壊されることになった。自然の素晴らしさを讃える歌があればと願っていたが、森友さんが闘病生活から得た自然の恵みを『雨上がりに咲く虹のように』と題して作詞作曲してくれた。人生に希望を持つ美しい歌を奉納いただけることに御礼申し上げる」と挨拶した。
 森友さんは「十四年間、歌うことが出来ずに苦しんだが、雨のないところに虹は出ない。そのような希望を歌に託した。この歌で苦しんでいる人を勇気づけられるなら嬉しい」と挨拶し、アカペラで「忘れないあの日の涙を 愛する人をこの手に守りたい」と「雨上がりに咲く虹のように」を奉納した。
 このあと板東流名取りの坂東寛二郎氏が日本舞踊を奉納した。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

「賞が目的ではなく、iPS細胞を通じて多くの人を救うことが目的なんです」

山中伸弥京都大学教授

 今年のノーベル生理学・医学賞に山中伸弥京都大学教授の受賞が決まりました。最近暗い話題が多かっただけに、日本中が湧いています。
 賞の偉大さはもちろんですが、会見での山中教授の人柄に魅せられた人も多いと思います。あの事業仕分けでは、あわや、という所まで追い込まれたのに、総理との会見ではそんなことは微塵もみせない。
逆に「感謝」をまず口にされ「日本、日本の日の丸の支援がなければ、こんな素晴らしい賞を受賞できなかったまさに日本が受賞した賞だと思います」と実に謙虚な姿勢でした。世界に「日本人の素晴らしさ」を、大いにアピールされたように思います。
 加えて、マラソンに出場して研究資金の寄付を募るなど、これまで「象牙の塔」にこもっていた学者先生とは違う、新しいタイプの研究者です。
 山中教授が臨床の現場では不器用で、手術も遅く、何度も挫折を繰り返されたことは有名です。そのノーベル賞受賞者が「どんどん失敗したらいい。それは恥ずかしいことでも何でもない」というのですから、ずいぶん勇気づけられます。
 山中教授の研究は、長く孤立無援で、スタッフもなかったといいます。研究室は山中教授とネズミだけという時代が続いたのです。
 あと二日でノーベル賞の発表があるという時に、山中教授と会食したラグビーで有名な神戸製鋼の平尾誠二氏が「明後日に発表ですね」と聞くと、山中教授は「執着してないんですわ。賞が目的ではなく、iPS細胞を通じて多くの人を救うことが目的なんです」と淡々としていたといいます。
 研究者なら、世界中の誰しもが憧れるビッグタイトルに「執着していない」とは、悟りを開いた僧のような言葉ではありませんか。
 そして「多くの人を救うことが目的なんです」ということが素晴らしい。「己を忘れて他を利する」ということを実践されていることに、日本中が深く感動しました。

鬼手仏心

「ジダンの頭突き」 天台宗財務部長 安部 昌宏

 
 サッカーは、時折報道されるように民族差別が問題となる。
 つい先日、フランス国営テレビが、サッカー日本代表のGK川島永嗣に腕が四本ある合成写真を映し、司会者が「福島の影響ではないか」とムチャクチャな発言をし、テレビ局側がパリの日本大使館におわびを表明した事件があった。
 思い出すのは、二〇〇六年ワールドカップ(W杯)ドイツ大会の決勝の対イタリア戦で、マテラッツィ選手の胸に頭突きをくらわし、レッドカードで一発退場となったジダン選手のことである。
のちにジダン選手本人が「家族を侮辱する言葉を吐かれたのでかっとなってやったと」言っている。ジダン選手はフランスの一九九八年W杯、二〇〇〇年の欧州選手権の優勝に大きく貢献した伝説的な選手。アルジェリア系移民の息子だったジダンが、フランス代表メンバーに入る苦労は並大抵ではなかったはずだ。築き上げた名誉を一瞬にして失うかもしれないにもかかわらずの頭突きである。よほどの侮辱を受けたのだろうという同情は当時からあった。
 日本の中村俊輔選手も所属していた外国のチームの監督からイエローのベストを着るように命じられたことがあるという。そういう口に出来ない差別意識を乗り越えて彼らはサッカーに打ち込むのである。
 このほど、ジダン選手の頭突きの銅像がパリのポンピドゥーセンター前に展示されたという。普通、銅像は名誉や勝利を記念して作られるものだが、展示責任者は「敗北に対する賛歌だ」とコメントしているという。敗北に対する賛歌というのが意味深長でニヤリとさせられる。

仏教の散歩道

「西」はどちらか?

 十五世紀のインドの宗教改革者にカビールがいます。
 両親に捨てられた彼は、イスラム教徒に養育されます。彼自身はヒンドゥー教徒だったのですが、養父の感化によってイスラム教の影響を受け、ついには、
 ─アッラーとラーマの子─
 と称するようになりました。イスラム教の神アッラーと、ヒンドゥー教の神ラーマの実子を表明したのです。
 あるとき、カビールは横になったのですが、その足がメッカ(イスラム教の聖地)の方向を向いていました。それを見て先輩が、
 「メッカに足を向けるとは怪(け)しからん」と叱ります。するとカビールは、
 「それじゃあ、神がおいでにならない方向に、わたしの体を向けてくれ」
 と応じました。神は宇宙に遍在しておられます。それ故、神のいない方向などありません。カビールは見事に先輩をへこましたわけです。
     *
 名前は忘れましたが、江戸時代の妙好人(みょうこうにん)(他力の信心を得たすぐれた念仏者)にも、似たような話があります。
 夏の暑い日、彼は菩提寺の本堂でごろりと横になっていました。お寺の本堂はあんがい涼しいですね。しかし、彼の尻は、阿弥陀仏に向けられていました。
 そこに仲間がやって来て、男を叱ります。
 「阿弥陀さんに尻を向けて寝るとは何事ぞ そんな行儀の悪いことをしてはいかん!」  すると、妙好人はこう言いました。
 「阿弥陀さんは、わしら衆生の親なんだろう…。そうすると、お寺はわしらの親の家だ。遠慮する必要はない。行儀が悪いなんて心配しているおまえは、おおかた継子(ままこ)であろう」
     *
 阿弥陀仏は西方極楽世界においでになるとされています。けれども、地球は太陽を中心に公転し、また地球そのものが自転をしています。
 そうすると、西という方角は時々刻々変わっているわけです。だから、阿弥陀仏の極楽世界の方向も、時々刻々変化しているのです。
 いや、それよりも、阿弥陀仏は宇宙に遍在しておられます。わたしたちがどちらを向いても、そこに阿弥陀仏がおいでになります。西という方角は、いちおうの目安としてたてられたもので、あらゆる方角が「西」だと思ったほうがよいでしょう。
 だから、方角なんかにこだわらないほうがよいと思います。北枕がよくないとか、仏壇は東向きに安置すべきだとか、そんな迷信にとらわれる必要はありません。東西南北、あらゆる方角が「西」だと思って、阿弥陀仏を拝めばいいのです。
 わたしはそのように考えています。  

カット・酒谷 加奈

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