天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第108号

「祖師先徳鑚仰大法会」が四月一日に開闢
第一期は慈覚大師御遠忌 平成24年4月1日~平成27年3月31日

 天台宗では、来る平成二十四年四月一日より同三十四年三月三十一日までの十年間に亘り、道心~山川草木みなほとけ~を統一標語として「祖師先徳鑽仰大法会」を奉修する。大法会は二期に分け、第一期は、今春四月一日から平成二十七年三月三十一日までの三年間、第二期は、平成二十七年四月一日より、平成三十四年三月三十一日までの七年間となっている。

 同大法会では、第一期に、慈覚大師一千百五十年御遠忌、第二期には、宗祖伝教大師御生誕一千二百五十年、同一千二百年大遠忌、恵心僧都一千年御遠忌、相応和尚一千百年御遠忌を予定している。
 同大法会の総開闢法要は今春四月一日に、総開闢奉告法要が、五月十一日に半田孝淳天台座主猊下大導師の下、それぞれ執り行われる。
 第一期大法会の慈覚大師は、天台密教を大成させた第三世天台座主で、『入唐求法巡礼行記』を著したことで有名。「世界史上最初の偉大な日記作家」(エドウィン・O・ライシャワー元駐日大使)との評価もある。天台宗のみならず日本仏教の歴史における指導的人物で、日本史上最初の『大師』号を授けられていることでも知られる。
 第一期の「慈覚大師一千百五十年御遠忌祥当逮夜法要」は翌年の二十五年一月十三日に、翌日十四日には「慈覚大師一千百五十年御遠忌祥当法要」が厳修される。また、「慈覚大師一千百五十年御遠忌御影供法要」が五月十四日に営まれる。
 なお、平成二十四年四月一日より同二十七年三月三十一日の期間に総本山延暦寺大講堂において、教区法要や各種団体による報恩法要が執り行われる予定である。
 第一期大法会奉修にあたり、記念事業として檀信徒の結縁潅頂を総本山延暦寺潅頂堂において執り行うことや、写経の推進、『天台学大辞典』の刊行などの各種出版、根本中堂修復調査、慈覚大師にまつわる講演会、展示会・演奏会なども予定されている。
 また、国内や中国における慈覚大師ゆかりの寺院を団体参拝、参道などに記念植樹を行って緑の並木をつくることも考えられている。
 第二期は、平成二十七年四月から同三十四年三月末までの七年間。宗祖伝教大師御生誕一千二百五十年、伝教大師一千二百年大遠忌および、日本の浄土教の基礎を築いた恵心僧都の一千年御遠忌、無動寺を建立し回峰行の祖といわれる相応和尚の一千百年御遠忌の法要期日などは決まっているが、詳細な事業案などは、今後の企画委員会において検討される。天台宗では、この日本仏教に多大な功績をなした祖師先徳の鑽仰大法会を機に、教化の一層の推進を図りたいとしている。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

私は、仏教は宗派やお寺のためにあるのではなく、人々のためにあると思っている。

「尼さんはつらいよ」新潮新書 勝本華蓮

 勝本さんは、今、世間で最も話題になっている天台宗僧侶です。新潮新書の新刊「尼さんはつらいよ」は日経新聞、読売新聞などが写真入りで記事にしました。
 「現役の尼僧にして、パーリ仏教の研究者が『尼さんの実態』を明かす」(日経)、「清く、正しく、美しい―そんな尼さんのイメージは幻想に過ぎない」(読売)とセンセーショナルに紹介されています。
 といって暴露本ではなく「出世間的に生きようとしても、この世では、世間的な生活の智慧や生活力が必要である」という至極当たり前のことが書かれています。
 勝本さんは、青蓮院門跡で得度、京都大学大学院で学んだ文学博士。専攻はパーリ仏教で、叡山学院と東方学院の講師を勤めたという学究の人です。しかし「学校の非常勤講師は非常に安い。ワーキングプアの代表と思える」と歯に衣をきせずにズバリと書くところが実に魅力的です。
 二月某日、大阪梅田で待ち合わせ、ソバ屋で語りあいました。「読売新聞のカメラマンに『この位置から、望遠レンズで取るといいですよ』とアドバイスしました」という勝本さん。僧侶になる前はグラフィックデザイナーの面目躍如というところ。止むに止まれぬ事情で「やるしかない」と尼僧になった事情は著書に譲るとして、新潮社の編集者は「学問の裏付けという前輪があり、その上で尼僧の実態を書くという後輪がある。二輪で走ることで安定と強みが生まれる」と言ったといいます。なるほど、話していても二輪バイクで疾走するような爽快感がありました。
 「『尼とは何ぞや』。髪の毛を剃って衣を着てたら尼さんなのか。寺に住んでたら尼さんなのか。いったい何をする人が尼さんなのか」と自らに問う勝本さんは、全ての職を整理して、外国に移住するとのこと。その見聞録を、ぜひ本紙に連載して頂きたいと依頼しました。メールがあれば地球の裏側からでも、原稿はもらえますから。

鬼手仏心

「想定外 言い訳する時 よく使う」 天台宗出版室長 杜多 道雄

 
 毎年、ある保険会社が主催するサラリーマン川柳を楽しみにしています。
 今年も応募された二万七千百八十四句の中から、傑作百選が出そろいました。どの句が大賞を獲得するのかはわかりませんが、いずれも傑作揃いです。
 「キレやすい 部下を替えたい LED」(寅次郎)とか、「携帯に やっと慣れたら 皆スマホ」(まめまろ)や、「円高だ! 海外行くぞ 円がない」(縁結び人)など思わずニヤリとさせられます。
 今年は、例年に比べて東日本大震災を題材にした句が目立つようです。
 「被災地に あきらめないを 教えられ」(ふくだるま)や「復興を 祈る気持ちで 電気消す」(ハナちゃん)など、みなで復興を支えようという気持ちが表れていて、シャンとさせられます。
 その中でも、私が気になる一句は「想定外 言い訳する時 よく使う」(読み人知られたがらず)です。
 「想定外」とは「そんなアクシデントは予想していなかったから、対応できなくても責められる筋合いはない」という意味が含まれています。まことに便利な言葉です。が、言い換えれば「ツメが甘かった」ということです。
 古人は「物事は、最悪のことを想定して決めておくものだ」と言っています。何も大工事や国家プロジェクトという大層なことばかりではなく、日常においてもこの心構えは必要だと思われます。
 電車が遅れることを予想して、約束の時間よりは早めに出るとか、不意の出費にそなえて貯金するとか、そのような細かい心配りと積み重ねが「想定外」を防ぐカギになると思います。
 初めから「手抜き」の言い訳に使うなら別ですが。

仏教の散歩道

病気があたりまえ

 ひろ先生は何か健康法をやっておられますか?ときどき、そう質問されます。親しい人の場合は、「はい、食べ物に気をつけています」と答え、そして「何を食べておられるのですか?」と問われると、にやりとしながら
 「人を食っています」
と答えることにしています。もっとも、これは吉田茂(一八七八|一九六七)が言ったジョークであって、わたしのオリジナリティー(独創性)はありませんが。
 それはそうとして、わたしは健康法なんていっさいやっていません。いや、それよりも、そもそも健康法なるものを馬鹿にしています。人々は健康になるためにあれこれの方法を講じているようですが、それがいったいどれだけの効果があるのか、わたしは疑問に思っています。
 ちょっと考えてみてください。いったい健康って何なんでしょうか?
 たとえば、心臓に疾患のある人がいます。この人は病人です。けれども、日常生活にそれほどの支障なく、彼は会社勤務をしています。ときに風邪を引いたりして寝込むことはありますが、それは誰でも同じですね。そうすると、普段のこの人は病人でしょうか。それとも健康な人と呼ぶべきでしょうか。
 同様に、がん患者であっても、健康な日常生活を送っている人もいます。そうかと思えば、がんの治療ばかりに専念し、まるでそのために生きているような人がいます。わたしは、そういう人は病気を病んでいる人だと思います。反対に、病気であっても健康に生きることはできると思います。この差は、どこからくるのでしょうか…?
 わたしたちは、病気になることを不幸だと思っています。だが、そうではありません。病気にもかかわらず幸福に生きている人は大勢おられます。病気を苦にする人が不幸なんです。
 お釈迦さまが出家される以前の話です。東の城門を出たとき、お釈迦さまは老人に出会い、ショックを受けました。しかし、彼は、老人こそが人間の真の姿で、若さが驕りにすぎないことを知ります。また、釈迦は南の城門を出て病人に出会いますが、この病人こそが人間の真の姿で、健康はむしろ一時的なものであることを知ります。次の西の門を出て死者に出会った釈迦は、むしろ死者こそ人間の真の姿だと知るのです。そういう話しが語り伝えられています。
 たしかにその通りです。若さも健康も人間の一時的な姿であって、老いと病いは必ず人間にやってくるものです。わたしたちは病気を気にせず、人間が病気になるのはあたりまえのことなんだと思ったほうがよさそうです。現代日本人は一種の健康ノイローゼにかかっているのではありませんか。もっとのんびりしたほうがよさそうですよ。

カット・酒谷 加奈

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