天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第107号

被災地ボランティア延べ719人、1395日
天台仏教青年連盟の復興支援活動続く 東日本大震災

 東日本大震災発生から昨年末までに、被災者支援と復興活動に携わった天台仏教青年連盟のボランティア人数は延べ七百十九人、日数は千三百九十五日になる。各教区仏青が天台宗社会部へ申請した活動報告書によってわかった。

 主な活動内容は、救援物資の搬送、現地復興支援(労働奉仕)、炊き出し、癒しと心のケア、回向などである。
 甚大な被害地域である福島県では、同教区仏青が癒しとケアに九十名(九十日)、陸奥教区では、復旧支援に同教区仏青が百二十名(二百三日)のボランティア支援活動を行った(日数と人数はいずれも延べ)。 
 また近隣教区で被害の少なかった山形県では、百三十三名の仏青が百五十日にのぼる炊き出しを行っている。大震災発生当時に支援物資の搬送拠点が置かれた茨城教区では、六十六名が百七十八日活動した。
 関東から東北にかけて活動した仏青は、十二教区六百三十三人(千七十七日)に対して、西日本の仏青は、七教区八十六名(三百十八日)であった。現地になかなか行けない仏青会員も、後方支援、物資の調達などの形で、活動している仏青たちをバックアップした。被災地入りした仏青たちは「多くの仏青会員の気持ちを、現地に届けることができました」という。
 山形仏青では、大震災発生以来、週二回、山形県庁の災害ボランティア支援会議に参加、情報交換や協力事項等を話し合ったが、昨年七月にその中で協議された熱中症対策とボランティア心得をパンフレット形式にまとめている。
 同仏青の榎森舜田事務局長は「隣県である我々はフットワークを武器に現地に通うことができました。『ボランティアに行きたいけど、どこからニーズをもらえばいいのか』ということにもコーディネイトしてきました。こうしている間に現地の方と絆が深まり、信頼を得て、そんな人と人との繋がりの中で、たくさん色々なものを得てきたように感じます」と語っている。
 各仏青のボランティア活動に対して援助を行ったため、天台宗災害対策本部には、その活動報告書が提出された。また一方で、各寺院や住職個人の多くが、個々の判断で托鉢や物資搬送、また震災孤児の受け入れや温泉ツアーなどのボランティア活動を展開した。それらの活動は独自の活動であるために、記録に残されていないものもある。
 東日本大震災の発生からまもなく一年を迎えようとする。しかし、本格的な復興はこれからである。天台宗の僧侶たちは、復興支援ボランティア活動のために今も被災地に入り続けている。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

われわれはみな被災者だ。お互い至らない点もあるだろうが、今は誰かを責めることは絶対にするな。

河北新報報道部次長 鹿又久孝

 河北新報は、創刊以来無休刊を貫いている東北を代表するブロック紙です。
 東日本大震災が発生した直後、河北新報は組版システムが動かなくなり、号外と翌日の朝刊の印刷は「緊急時の新聞発行相互支援協定」を結んでいる新潟日報社に依頼して発刊しました。
 自社のヘリが被災し、カメラマンは他社のヘリに便乗させてもらい空撮取材を行います。取材ヘリですから、小学校の屋上にSOSを書いて助けを求める人々を救助することはできません。彼は写真を撮りながら「何やってんだ。俺、最低………」と自分を責めます。
 気仙沼総局では、津波で一階が水没。二階に避難した総局長は、パソコンが使用不能のため手書きで原稿を書きます。
「白々と悪夢の夜は明けた。湾内の空を赤々と染めた火柱は消えていたが、太陽の下にその悪夢の景色はやはりあった………」。
 整理記者は宮城県知事が「死者は万単位になる」と発表した記事の見出しをどう立てるのか悩みます。「死者」は使いたくない。紙面は「犠牲『万単位』に」。
 通常二十本ないと一杯にならない紙面に三本しか原稿がない。「足らないなら足らないなりに作るのがプロだろう。写真と見出しを大きくしろ」という整理部長の檄を受け、被災者救出の写真を特大サイズに使い、見出しは大人の拳ほどある「生還」に。
 総務部は「おにぎり班」を組織して記者達を支えますが、食料は足らなくなっていきます。食料も不足、通信も満足にはいかない、しだいに殺気立ってくる編集局で鹿又次長が冒頭の言葉を呼びかけます。
 大震災に見舞われた地元の新聞は、どのように動き、新聞を発刊し続けたのかを追った「河北新報のいちばん長い日」は昨年度の新聞協会賞を受賞しています。

鬼手仏心

「パス」 天台宗財務部長 阿部 昌宏

 
 サッカーといえば、醍醐味はシュートにあると思っている人が多いが、そうではない。 
 もしそうなら、スーパースターが、試合開始直後にただ独り、ドリブルでゴール前に持ち込みシュートして得点するのが素晴らしいことになる。
 そんなことはあり得ないが、仮にあり得たとして、それがスポーツとして面白いと思う人は短見である。
 我々が見たいのは、困難な中を、いかにパス回しをうまく使って、あるいは華麗なセットプレーで敵陣に攻め込み、得点するかということである。
 つまりは「過程」にこそ見る価値があるということなのだ。特にパス回しは、実際の人生と同じである。
 最初から最後まで自分ひとりが、ドリブルでゴールを決めるなどということは人生にはない。必ずパートナーが必要である。
 いいかえれば、自分のところに来たものをパスする相手が必要なのである。お金を、相手に渡し(パス)してこそ欲しいものが手に入る。相手に自分の気持ちをパスする、仕事をパスしたり、パスしてもらったりする。
 自分もかつては、他家の大事な娘をパスしてもらい、子供が出来た。その子を社会にパスするというようにパスをしながらゴールを目指してゆくのである。
 大事なのは、誰に、いつパスするかというタイミングである。パスしない人というのがいる。贈り物をたくさんもらっても、誰にも分けずに腐らせるような人である。こういう人には、やがて誰もパスしないようになる。
 酒井雄哉大阿闍梨がジャーナリストの池上彰さんとの対談で「世の中というのは、くるくる回っているんだよ」と語っていた。至言である。

仏教の散歩道

お地蔵さんか観音さまか

 「わたしの村に無縁仏の墓がありまして、このたびそれを整理してお堂をつくることになりました。ところが、そのお堂を観音堂にするか、地蔵堂にするか、村人の意見が二つに分かれてなかなか決まりません。先生は、どちらがいいと思われますか?」
 だいぶ昔の話ですが、仏教講演会において、わたしはそのような質問を受けました。
 なかなかおもしろい質問です。
 しかし、わたしは、その質問に対する回答を拒みました。
 理由の一つは、わたしは村人ではないからです。それは村人の問題であって、村人が決めるべき問題です。外野の意見を聞く必要はありません。
 それから、もう一つの理由があります。それは、お地蔵さんがいいか、観音さまがいいか、人間が自分の好みで決めてはいけないのです。どちらがいいかを決めることは、まるで美人コンクールです。人間が審査員になって、お地蔵さんと観音さまの優劣を判定することになります。まさに不遜なる態度と言わねばなりません。そんなことは、してはならないことです。
 このことは、じつは村人に対しても言えることです。
 もしも村人たちが、お地蔵さんがいいか観音さまがいいか、多数決でもって決めようとするならば、村人たちは審査員になっているのです。それはやはり不遜な態度です。
 では、どうすればよいでしょうか?
 人間が決めるのではなく、お地蔵さんと観音さまに決めていただくのです。
 「わたしたちの村に、お地蔵さんか観音さまのいずれかがお出ましになってください」
と頼みます。そうするとお地蔵さんと観音さまが話し合われるでしょう。
 しかし、お二人がともに「自分が行きたい」と主張されるはずです。なぜなら、いずれもが衆生済度を願っておられるからです。したがって、話し合いはなかなか結論がでません。
 そこで最終的には、お二人がジャンケンをして決められるだろうと思います。
 いや、大昔から、あちこちの村からの招請がありましたもので、ほとけの世界では誰が行くか、ジャンケンで決める慣行ができていると思います。お地蔵さんか観音さまか、それとも閻魔さんのいずれか一人ということになれば、三人でジャンケンをされるだろうと思われます。
 そのジャンケンに相当するのが、人間の世界ではサイコロになるでしょう。だからわたしは、質問者にこう教えました。
 「村人から二人の代表を選んで、一個ずつサイコロを振ります。そして、偶数なら地蔵堂、奇数なら観音堂を建立されるとよいでしょう」
 それが、ほとけさまにおまかせする方法なんですよ。

カット・酒谷 加奈

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