天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第97号

未曾有の大地震が東北、関東を襲う
今こそ、忘己利他の心を被災者へ

 三月十一日に発生した国内観測史上最大規模といわれる東北地方太平洋沖地震について、半田孝淳天台座主猊下は、十二日に、犠牲者への哀悼ならびに、被災者へのお見舞いと一日も早い復興を願う諭示を発せられた。また二十九日には、総本山延暦寺阿弥陀堂において、慰霊回向法要が半田座主猊下を導師に、天台宗・延暦寺両内局出仕で営まれ、犠牲になられた人々に哀悼の意が捧げられた。

 マグニチュード九・〇という国内最大規模を観測した大地震では、直後に発生した巨大津波によって数多くの人命が失われ、また家屋等が流失・倒壊。未だに被害の全貌が明らかになっていない。
 加えて福島第一原子力発電所が損壊し、放射性物質が漏れ出したために、地域住民の緊急避難という危機的な事態が引き起こされた。
 更に被災地では、電気や水道、ガスなどのライフラインの回復が遅れ、避難所では二十万人近くの人々が苦難を余儀なくされている。
 天台宗では、地震発生直後から対策本部を設置して情報収集に努めているが、電話等の通信手段が不通となったり、かかりにくくなるなど、思うように現状把握が進んでいない。
 天台宗寺院にも多くの被害が出ているとの情報もある。また、檀信徒の被害については、その全貌が明らかになるには相当の日数がかかるものと思われる。太平洋沿岸の福島教区第五部では、津波被害が甚大で、住職全員の無事は確認されたが、一カ寺が完全流失。また、陸奥教区の二カ寺の流失が伝えられている。
 なお、十三日に延暦寺西塔・伝教大師ご尊像ご宝前において行われた『世界平和祈願大護摩供』では、半田座主猊下が「日本国史上希有の惨事となりつつある東北地方太平洋沖大地震は人命の犠牲をうみ、心痛のいたり極まりなし。専ら、今、被災犠牲者の冥福を祈るのみ」と祭文の中で述べられ、参加者とともに、黙祷を捧げられている。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

えらい人より やさしい人のほうがえらい
やさしい人より 金のない人のほうがえらい なぜかというと金のない人は よくさみしいなかで よくいきているからだ

鹿島和夫編『続一年一組せんせいあのね』・「人」 なかたにゆうすけ

 「偉い」ということはどういうことか、考えさせられます。
 世の中で「あの人は偉い」という時には、たいてい社会的地位が高い人のことを指しています。これが一番始めに出てくる「えらい人」です。また時に、世の為、人の為に無私無欲で働く人のことを「偉い」と言うこともあります。二番目の「やさしい人」のことでしょうか。更に、ゆうすけ君は「金のない人は、さみしい中でよく生きているから、もっとえらいぞ」というのです。うーむ、小学校一年生にしては、すごい洞察力ではありませんか。
 人というのは、偉くなりたいのです。言い方を変えれば、人から認められたい、高く評価されたいと願うものと言えます。
 「えらい」か「やさしい」かはともかく「あいつは、あれだけ凄いことをした。偉い」と世間から評価されたくない人はいません。中には、それは関係ないという顔をする人もいますが、多くはポーズです。
 評論家の谷沢永一さんは「人間は息をひきとるまで生涯をかけて、私を認めてくれ、私を認めてくれと、声なき声で叫びつづける可憐な生き物なのだと思われる」と言っています。常に他者よりも評価を得たい人の何と多いことか。相手も優越しようとしているのですから、すぐに高評価は得られません。偉くなるのは大変です。仮に偉くなったとしても、上には上がいますから。しかし、「俺が偉い」「私の方が偉い」というシーソーゲームは、あんまり、偉い人のすることとは思えません。
 一方、お金がなく、世間の隅っこで生きている人は「偉い」とは評価されません。さぞ、こころ寂しいことでしょう。それでも生きている、生きていかなくてはならない。そういう生き方こそ「えらい」のだと小学校一年生に教えられました。えらいなぁ。

鬼手仏心

反乱する神の火 天台宗参務財務部長 阿部 昌宏

 
 原子力発電は開発当初は「神の火」とも呼ばれた。
 今、福島第一原子力発電所で、その「神の火」の制御ができなくなっている。人間が十五分浴びれば死に至るという高濃度の放射能が検出され、復旧作業がストップしている。今回の事故はアメリカのスリーマイル島原発事故よりも高いレベル6である。
 デビッド・オルブライド元国連核査察官は「原発を管理する側は、このレベルの津波を想定しておくべきではないか」という質問に「原発を管理するのは民間企業である。コストと安全との綱引きがあるからだ」と指摘している。
 いずれにしても「フクシマ」は世界の原子力エネルギーに衝撃を与えた。「フクシマ」以後、世界は原子力を主要エネルギーとして考えることはできなくなったのではないか。
 破損した福島第一原発は、大量の放射能を漏出し続け、現段階では止めることも廃炉にすることもできていない。今後、地元の農業や漁業が大変な打撃を受けるであろう。近隣都市も次第にその影響を受けつつある。
 それにしても、日本政府が発表する情報と外国の対応が遙かに違うのはどういうことだろうか。例えば日本側の「屋内退避(家から出るな)」が、アメリカやフランスの救援部隊には半径八十キロ以内に近づくな、或いは引き上げろ、と指示されている。
 その中で、東京電力、自衛隊、消防レスキューの人達によって、文字通り命を賭けた復旧作業が続けられている。作業のために現場に向かう彼らに、地元の人たちは深々と頭を下げているという。私たちも祈り、信じて待ちたい。人間が「神の火」を制御する、その時を。

仏教の散歩道

まちがいをする人間

 今朝、おもしろい夢を見ました。
 わたしは夢を見るとき、いつも、〈ああ、これはこういう意味なんだな。この事件はこう解決するとすっきりと意味が通じる〉と、夢のストーリーを解釈し、矛盾するところは修整しながら見ています。
 ほかの人がどういうふうに夢を見ておられるのか分かりませんが、わたしの場合、まるで小説を書いているかのような形で夢を見ています。
 わたしのおじいちゃんが毛筆で『般若心経』の写経をしていて、途中でわたしが交替して写経を続けていました。これも夢の中で、〈ああ、これは『般若心経』の写経なんだ〉とわたしが解釈しているのです。でも、おじいちゃんが書いた部分は、カタカナ混じりの文章ですから、『般若心経』であるはずがありません。しかし、夢の中のわたしはそれを『般若心経』だと決め込んでいます。
 ついでに言っておきますと、わたしが生まれたときには祖父はこの世にいなかった。だから夢の中の人物が祖父だかどうだかわからないのですが、わたしはそれを祖父と決めて夢を見ていました。
 こんな調子で紹介すると長くなりすぎます。あとはざっと荒筋だけを書きます。
 そこにおじいちゃんの友人の老人がやって来ます。そしてその老人が、『般若心経』の写経の誤字を指摘します。こんなまちがったものを仏壇にお供えするわけにはいかないから、全体をもう一度書き直せと命じます。
 指摘された部分を見ると、なるほどまちがいがあります。しかし、その部分は祖父が書きました。ですからわたしに責任はありません。
 まあ、その誤字を訂正してもいいのですが、わたしは頑強に訂正を拒みました。
 「なぜだ!? ほとけさまにお供えするのに、まちがいがあったままでいいと言うのか!?」
 「あのね、ほとけさまはわれわれ衆生がまちがいばかりをする弱い人間だということをよく知っておられる。だから、まちがったものをお供えしても、ほとけさまはにこにことして受け取ってくれるよ」
 わたしは老人にそんな啖呵(たんか)を切りました。そして、なおもぶつぶつ言う老人を追っ払ってしまったのです。
 そのあと、わたしは祖父に「おじいちゃん、ごねんめ。おじいちゃんの親友と喧嘩をして」と謝りました。すると祖父は、「いいよ、いいよ。おまえの言うほうがもっともだよ」と、わたしを許してくれた。そこで目が醒めました。
 ちょっと格好いい夢の中のわたしです。
 しかし、わたしは、人間はまちがいばかりする存在で、仏はその人間のまちがいをにこにこ笑いながら赦してくださる存在だと信じています。
 その信念が夢の中の物語をつくったのだと思います。

カット・酒谷 加奈

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