天台宗について

法話集

No.210くさとり

 昨年来のコロナパンデミックが猛威を振るい、アルファ株、デルタ株に引き続いて今度はラムダ株の出現を見るまでになりました。矢継ぎ早に次々と姿を変えて襲い来る新型コロナは恐怖そのものです。先ごろようやくワクチンの接種が終わってややほっとしていますが、これで全く安心、安全かというとそうでもない。現に接種終了者の感染が報告されて、まだ気を抜くわけにはいかないんだと、一層の引き締めにかかっている昨今です。

 どこかに出かけることもかなわず、狭い庭ながら朝夕見渡しますと、そこここに草が生えるのが目に入るようになりました。いろいろな種類の草が所狭しと生えています。名前が分るものはほんの僅かです。これまでもやらなかったわけではありませんが、気になり出して草取りをするようになりました。

 種類によって取り易い、抜け易いものとか非常にてこずるものなど誠に千差万別です。根っこからするっと抜けるとホッとします。いわゆる根こそぎというものです。抜いたときに「むりっ!」と音がします。次に生えてくるまでそこそこの時間がかかるでしょう。一方、どんなに頑張っても根が残るものがあります。特にドクダミがびっしりと群生しますが、これは、実に厄介です。ほとんど根が残ります。道具を使ってそこらじゅう掘っくり返さないと根絶やしにすることは無理です。何十本かに一本位はするっと抜ける時があります。「やったー!」と思いますが、抜いたあとを見ると、別の根っこが土の中にまさしく縦横無尽に生き生きと横行しています。ドクダミを抜くときには途中で根が切れてしまいます。こちらは「ぶつっ! ぶつっ!」と聞こえます。背が高くて太い蕗も引き抜くときに「ぶつっ!」と音がします。やはり途中で切れて根が残ります。耕作することが目的ではないのでまた生えてくればまた草取りをします。できれば小さいうちに根を張り巡らせないうちに抜き取ればいいのです。

 しかしそれが中々できないのが日常です。「忙しい、忘れる、慌てる・・」などが理由でしょうか。りっしんべんに亡くす、心を亡くすと読めます。振り返ってみれば毎日がいかに忙しいのか、ついうっかり忘れてしまう、慌ただしく過ごしてしまうなどなど、思い当たる節が何と多いことでしょう。

 本山の根本中堂に布教担当で登山した際に、中庭で草取りをしている当番さんがおられました。場所が場所だけに草丈は大きくなんかなってはいません。廊下などから見えるようなものではありません。もちろん一本一本取るのに音は出ないでしょう。当番さんが慎重に丁寧に一心不乱に作業をされていたのを思い出します。

 そういえば、どなたかの一句。「くさとりの くのじをとりて さとりかな」

 今日もぶつぶつと草取り、いや、草引きにいそしむとしましょう。


(文・陸奥教区 松本坊 坊城 延溟)
掲載日:2021年10月01日

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