天台宗について

法話集

No.199この子らを世の光に

 未だ終息しない新型コロナウィルスへの感染不安から、医療関係者の子供達が(病院からのウィルスを運んでくるとして)学校でいじめられる事態が生じているそうです。世界中でコロナ禍による社会的・経済的混乱が様々に現れ、日頃の不自由さの鬱憤を晴らすかのような差別・分断が深刻化しておりますが、子供達の世界にもと思うと胸が痛みます。

 思えば4年前、社会に衝撃を与えた相模原障害者施設殺傷事件がありました。「障害者は生きている価値がない」というのが犯人の言い分で、これは、かつてナチスが大量虐殺をしたのと同じ発想です。市場経済が突き進んだあげく今また富の集中と格差拡大がもたらされ、更に環境破壊が止まらぬ中、知らず知らず「損か得か」の物差しで人間の存在にすら価値判断を与えるようになってしまった私達の社会の闇が現れたようで、背筋が凍る思いでした。

 そこで思い出されるのが戦後、戦災孤児達を集めて寝起きを共にしたという糸賀一雄先生です。とりわけ糸賀先生は知的障害を持った子供が、生まれたままの純真な気持ちで、人をだまそうとか、ウソをつこうとか邪な考えが全然ない事に気づいたといいます。児童福祉に生涯を捧げた糸賀先生は、滋賀県の福祉関係の方々に講演中、「この子らを世の光に」と言って倒れ、帰らぬ人になりました。
「この子らに世の光を(障害児に支援を)」ではなく、障害児を世のお手本にというのです。
これは、健常者が持っていない、素晴らしい生きる姿勢を彼らが持っているという事です。

 糸賀先生の近江学園から私の祖父が頂いてきた大場君の詩(やっと字を書けるようになって書いた少年の詩)を紹介させて頂きます。

 わるぐちをいわれても、いじわるをされても、まけないで、こころをひろげていこうではないか。
 じがよめなくても、かんじょうができなくても、がんばって、てあしをつかっていこうではないか。
 やりそこなっても、へたなことをしても、なんべんもやりなおしていこうではないか。
 おおば。

大場君のように、試練に負けぬ、ひたむきに生きるエネルギーを取り戻したく存じます。
実際、誰もが感染症や事件、事故、災害などに遭遇しうる、明日をも知れぬ命です。であればこそ、今日一日を大切に、思いやり合って暮らしたいものです。


(文・北総教区 安養寺 一島 元真)
掲載日:2020年11月01日

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