天台宗について

法話集

故人は極楽で何をしているのでしょうか

故人は極楽で何をしているのでしょうか

 天台宗では回忌法事の折などに「阿弥陀経」というお経をあげることが多いのですが、この経典はインドから伝わったものを、鳩摩羅什というお坊さんが、約1600年前に漢語に訳した経典です。そのまま棒読みにしていますので、お聞きになってもチンプンカンプンだと思います。そこで経典の前半、極楽世界の様子が説かれた部分について、ちょっとお話したいと思います。

「極楽世界には、美しい池があって、宝石をちりばめたプロムナードがその周囲に廻らされ、荘厳なあずま屋も設けられています。清らかな池の中には大きな蓮の花が咲きみだれ、青い蓮からは青い光が放たれ、黄色い蓮からは黄色い光が放たれ……。」

というような描写があります。暑いインドで出来た経典ですので、涼しげな場所が想定されています。冬のことです。暖かいとは言えない本堂でこんなお話をすると、ある檀家さんが言うことには、「なんか寒そうですね」「じゃあ、どんな世界がいいですか」「今の時期ならやっぱり温泉ですね」なるほどその通りです。「亡くなったばあちゃん、温泉でのんびりしているのかねえ」そうかもしれませんね。ただ極楽にいてもけっこう忙しいようです。経典に、

「その国の人々は、毎朝早くそれぞれ花かごを持って花を摘んで、他の世界の無数の仏様に捧げて供養し、その後でやっと食事をして、食後は散策したりします。」

とあるからです。しかし経典のこの言葉にこだわる必要はないと思います。ちゃんとお葬式をしたのだから、故人は仏の仲間入りをして極楽浄土にいるはずです。そこで何をしているかは皆さんの気持ち次第です。皆さんが思った通りのことをしているのでしょう。

 ちょっと難しい話になりますが、天台宗の教義では「一念三千」とか「十界互具」といって、地獄の世界も仏の世界も、われわれの一瞬の心の中にあるとされます。もしも私が怒りにもえるとき、私は実際、地獄や阿修羅の世界にいるのでしょう。とてもやさしく穏やかな気持ちのときは、仏や菩薩の世界にいるのかもしれません。今ここで素直な心で故人を想うとき、われわれは故人と一緒に極楽世界にいるのです。

 そして故人はきっと生前に好きだったことをしているのでしょう。畑仕事でしょうか、散歩でしょうか。ちょっと目を閉じて、思いをめぐらせてみましょう。おばあちゃんは何をしていましたか。



(文・信越教区 国分寺 塩入 法道)
掲載日:2020年01月01日

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