天台宗について

法話集

なぜ なくの?

 皆さんは最近泣かれたことがありますか。色々な場面があるでしょう。この頃私はテレビドラマに熱中していまして、九歳の少女が不治の難病に侵されるも健気に生き抜いているという筋です。朝の四時から毎回家内と二人でティッシュの奪い合いです。

 さて、「泣く」とはなんなのでしょうか?広辞苑には(1)精神的・肉体的な刺激に耐えず、声を出して涙を流す。(2)苦痛に悩む、つらい状況に陥る。とあります。
 皆様方はお寺に行かれて、泣いている訳でもないのに勝手に涙が出てくることを経験されたことがおありでしょうか。

 私が御祈祷をさせて頂いた経験のうち、代表的なお二人のお話をさせて頂きます。まず、ご夫婦のお話です。毎回ご主人の病気(癌)平癒の祈祷を申し込まれるのです。出口の無い、辛く深い霧の中を彷徨うが如く、藁をも掴む気持ちでお参りされているのが手に取るように分かる状態でした。後で分かったのですが、その時は何の治療も出来ない、手術も出来ない末期癌だったとのことでした。祈祷を重ねるうちに、仏様を目の前に感じ、力を下さる気がしたそうです。のちに手術を受けることが出来、成功されました。奥様の献身的な看病により元の状態に戻られつつあるそうです。ご主人に「仏様はすぐお隣に在られますね」と申し上げたところ、隣で微笑んでおられる奥様を感謝の念でご覧になりました。ご両人にうっすらと眼に光るものがありました。
 お二人目は、女性でお身内が遠くにおられ、一人でお住まいの方です。からだの調子が悪くなり、治療を重ね、手術をすることになり、祈祷を御受けになられました。御祈祷の途中から何故か涙が出てきたそうです。その時は、不安、恐怖心、心配、辛さで一杯であった気持ちが、お腹の底から「ばあー」と出て「スーッ」として安心感に包まれたと仰ってられました。これらはどういうことなのでしょうか。

 「感応道交」(かんのう どうこう又はどうきょう)という教えがあります。伝教大師が入唐求法(にっとうぐほう・唐の国に行って仏法を願い求めること)され学ばれた天台大師の教えの中に示されています。感応道交とは、法華文句(ほっけもんぐ)の中に「佛と人間とが融和すること。人に応じた佛の働きかけとそれを感じとる人の心が相交わり合致すること」とあります。すなわち、お二人の信仰する真心が神仏に通じ、そのしるし(佛を感じたり、涙したり)が現れたのでしょう。
 あなたも感応道交の世界へ行きませんか。


(文・三岐教区 東光寺 坂本 実仁)
掲載日:2019年12月01日

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