天台宗について

法話集

No.184日々の思い

 気持ちは若く保たねばなりません、すると体も元気になり精神力も増進します。精神年齢は、肉体年齢とは直接関係ありません。気持ちを若く保つには、感謝と歓喜が必要です。そうすることによって、付随してユーモア・ウイット(機知)が出てきます。今の生活に対して喜びを以っていつもニコニコしている、こうして日々暮らせるのは、親兄弟、世間様のお陰と感謝する。

 生きている限り、全てが喜びとは限らないので、自らの心を喜びに持っていく努力をする、努力すると、癖が付き、だんだん喜び方が上手になる。逆だと、不平不満が先に出て、感謝と歓喜が忘れられる、いつも怒った顔で陰気になり、「老いる」。

 「性」は、夫婦の間でうまく行っておれば、これほど良いものはない。日々楽しいし、仕事への気力も増す。(邪淫)下手に外に向けたら、家庭がドロドロしたことになり、人生が滅茶苦茶になることもある。「名誉」欲は、ありすぎても困りものですが、なさ過ぎても困りものです。「お金」は、少し足らないが理想と思います、あまり足らなすぎると自己険悪になります。多すぎると、「金持ちと灰吹きは、留まるほど汚い」(キセルの筒)。「お金」は上手に使えば良いですが、下手に使えばすて金になります。最悪の場合恨まれることもあります。難しいものです。

 「口」(言葉)は、謹まねばなりません。悪意がある場合は別として、悪意がない場合でも、誤って伝えられることがあり、誤解されることがあります。一方、人から悪い意味の批判を受けるのは、自分に徳望がないからだと思わねばなりません。徳望は、自分が誰にでも、敬愛の心で接すれば、自然に増えます。自分が進んで示さなくては、進みません。人に注意一つするにしても、心からなるほどとうなずけて、それを実行しようという気になって頂くことです。返って反感を持たれたり、悪感情を起こさせて罪を作らせるようでは、まだまだ駄目な自分です。普段の言動が悪かったり、上から目線の物言い、かも。

 「無我」の心とは、頭の中に何もない状態とか、一点に集中すると言ったことでなく。我が我がの、自分中心の心の「我」を捨て、自分の欲や自尊心を除き、世の為人の為の心になり、物事を考え、思考することです。


(文・京都教区 寳菩提院 中村 豪瑛)
掲載日:2019年07月01日

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