天台宗について

法話集

言の葉は心

 東京葛飾区柴又の《寅さん記念館》を見学した折、壁に掲示された「言葉は心」という1枚の教訓が目に留まりました。

『言葉は心』(中国のある僧の言葉より)
一つの言葉で喧嘩して 一つの言葉で仲直り 一つの言葉で頭がさがり
一つの言葉で笑い合い 一つの言葉で泣かされる

 処世上の格言に、「円い卵も切り様で四角 物も言い様で角が立つ」といわれるように、私達は平素、発言には注意しているつもりでも、時々うっかりしたことや、心にもないことや、或いは余りにも切実なことなどを ふと言ってしまって、相手に不快の感じを与えたり、驚きを感じさせる場合があります。そういう時にはつくづく言葉の難しさを感じます。
 およそ、言葉は人間の意思を反映した表現であることには相違ないのですが、その場の状況や空気や相手のことを心の中で考えるゆとりがないと、余りにも自分の意思に忠実な発言をしても、また、それがどんな誠意から出た言葉でも誤解される事もあり、口は災いのもとなどと言っても追いつかない場面を生み出すことさえあります。
 と言って、余りにも慎重すぎてあたかも「私は貝である」と言ったり、「沈黙は黄金なり」などと格言に依存する生活態度も如何なものでしょう。時と場合にもよりますが時には冗談やジョークや、売り言葉に買い言葉などが飛び交う方が人間のありのままが露呈されて、人間関係がうまくいくこともあります。
 さて、仏陀の八正道の教えの中の、正見と正語は正しく考え正しく語ることで、いかなる時も正しく考えつくして、正しく発言せよと戒められているのですが、世間では誉めたつもりの言の葉が相手にとって困る場合も生ずることがあるので、まずは相手の心に寄り添い、出来るだけ傾聴(相手のお話を聞き心で受けとめる)の姿勢で臨むことこそが、正見正語を実践することのできる大きな原動力になるのかもしれません。


(文・北海道管内 光明院 池田 道弘)
掲載日:2016年02月01日

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