天台宗について

法話集

生き方としての仏教

 ある会合でのお坊さんの笑い話がおもしろかった。こういう話である。
お坊さんとお医者さんと葬儀屋さん三人が揃って写真に写ることになった。
お坊さんが一番右端に立つと、お医者さんが「一番右端は私です。あなたは次で、最後に葬儀屋さんの順でしょう」「へ~」と思ったお坊さんが「何故ですか」と尋ねると、
「だって三人の中で、誰しも一番最初に世話になるのは医者の私です。その次が葬式をされるあなた。次に葬儀屋さんでしょう」
なるほど、そういうことかと思ったお坊さんが、「実はね先生、坊さんの本当の仕事は葬式ではないのですよ。人間として“いかに生きるか”という生き方を説くことです。お釈迦さんは人間としての理想の生き方を説かれた方ですからね。ですから順番など関係ありません。それよりも順番にこだわる生き方は人生をつまらなくすることに気付くことがもっと大事ですよ」
それを聞いたお医者さんは「なるほど」と合点をしたという話です。

 仏教は、お釈迦さまの説かれた教えです。その教えは分かり易くいうと、自分のこころを貧しくし、苦しめる自己中心的なこころ(エゴ)のとらわれから解放されて、人間本来の、感謝に満ち、支え合って生きる、こころ豊かな生き方を説いたものです。しかし、お釈迦さまの教えに導かれないで生活していますと、つい自己中心的なエゴに振り回されてしまいます。世界中で一番可愛いのは自分になります。そして、“自分の思う通りにしたい”という身勝手な欲望が無意識に湧き起ってきます。このこころは誰にでもある自己保存本能ですが、このこころに振り回されていますと、“思う通りにならない”のが世の常ですので、ストレスや苦しみは否応なく増すばかりです。私たち人間の苦しみは、自己中心的なこころ(エゴ)に対する執着が根本です。

 本来、あらゆるものは支え、支えられ、生かされて存在しています。自分だけという独立した自我はどこにも存在しません。すべてがあらゆる縁によって生かされている存在です。これが仏教の説く真理です。ですから、この真理に基づいて、自らも社会の為、人の為、一隅を照らし、感謝をし、支え合う生き方をすれば、人間本来のこころ豊かな、充実した人生を歩むことができるのです。仏教とは本来このような「仏道を歩む」生き方といえます。

(文・鍋島隆啓)
掲載日:2015年03月01日

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