天台宗について

法話集

No.103「縁」に感謝して

 今年の夏は連日の酷暑と、オリンピックやパラリンピックの開催で選手の熱戦や活躍の報道とが重なり、日本中が熱気に包まれたことはまだ記憶に新しいことと思います。
 日本選手が活躍した記憶は数多く残っていますが、その他にも強く印象に残っていることがあります。それは試合を終った選手や、メダルを手にしてインタビユーに応える選手の多くから、周りの人々へ感謝の気持ちの籠った言葉が聞かれたことです。「仲間」「お世話になった人々」「支えてくれた方たち」「両親や職場の人たち」「私ひとりでは」「皆様のおかげで」といった自分が今の結果を出すに至るまで、関わってくれた人々や環境などへの配慮が、これらの言葉から伝わってきました。それだけ、この舞台に立てたのは、周りの人々に支えられたお陰であることを、選手たちが実感しているからだと思われます。
 夏の暑い朝、清々しい気持ちにさせてくれる朝顔の花も、苗を植えただけでは花を咲かせることはできません。支柱を立て、肥料をやるなど心を込めて世話をする人、太陽の光や雨などの自然の恵みなどがあって、花を咲かせることができるのです。このように、朝顔の苗を植えるという「因」を、花を咲かせるという「結果」へ導くまでの間接的なことがら、つまり要因や条件を仏教では「縁」と言っています。
 2011.3の東日本大震災で人と人との絆の大切さが見直されましたが、私たちは一人では生きられないのです。私たちが生きてゆけるのは、家族や友人、職場の同僚、地域の人々など、周りの人たちの支えがあり、動植物などの命をいただき、太陽の光や水など自然の恵みを受けているからです。つまり「縁」により、生かされているのです。
 それでは、毎日をどのように生活しなければならないのでしょうか?
 私たちは自分中心の考え方を捨て、周りの人々に思いやりの心を持って接し、人の苦しみを自分のことと受け止め、感謝の心で毎日を送ることが大切です。ここに伝教大師のお言葉にある「忘己利他」の精神を生かした生活が求められるのです。しかし、私たちは知識としてこのことが理解できても、日々実践することは容易なことではありません。
 私たちはすべての「縁」に感謝し、みんなが幸せになれるよう、日々精進したいものです。一日一日が修業なのです。
(文・木村孝英)
掲載日:2012年09月24日

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