天台宗について

法話集

一大事(いちだいじ)

 「国家の一大事」「人生の一大事」「お家の一大事」など、簡単には解決できそうもないとても大きなトラブルが起こった時などに使うこの「一大事」という言葉は、もともとは『法華経』が語源です。
 『法華経方便品』に「諸佛世尊は唯(ただ)一大事の因縁を以ての故にのみ世に出現したもうと名づくるや。諸佛世尊は、衆生をして佛の知見を開かしめ、清浄なることを得せしめんと欲するが故に、世に出現したまふ。衆生に佛知見を示さんと欲するが故に、世に出現したまふ。衆生をして佛知見を悟らしめんと欲するが故に、世に出現したまふ。衆生をして佛知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したまふ。舎利弗、是を諸佛は唯(ただ)一大事の因縁を以ての故に世に出現したまふとなすなり。」とあり、「仏がこの世に出現されたのは、衆生に仏知見を開き、示し、悟らせ、入らしめるため」とあるように、仏がこの世に出現した理由が説かれています。
 まず「仏知見」とは「仏のものの見方」のことで、どのような見方かというと「世界や人生は無常(生滅・変化して常住でないこと)・無我(我の存在がないこと)であり、この無常・無我であることが諸法(一切存在)の実相(ありのままの真実の姿)であると認識すること」が、「仏のものの見方」です。
 さらに、智慧には三種類があり、「道種智(どうしゅち)・万物は個々別々であると差別的に見て実体を知ること。」「一切智(いっさいち)・万物は平等であると共通の立場から見て実体を知ること」「一切種智(いっさいしゅち)・差別にも平等にもとらわれず、どちらにもかたよらずに、差別と平等とを同時に生かしてものを見て実体を知ること」であり、これらのうち、三番目の「一切種智」によって中道(二つの極端な立場のどちらからも離れた自由な立場)実相であると照見(間違った考えのもととなる邪心や邪見を棄てて、真実をありのままに見ること)することが「仏のものの見方」つまり「仏知見」です。
 次に「開き、示し、悟らせ、入らしめる」というのは「開示悟入(かいじごにゅう)」ともいい、開は「藏の戸を開くが如く」、示は「藏の中の宝を見るが如く」、悟は「藏に在る宝を一々記憶するが如く」、入は「藏に入って自由に宝を手にするようなもの」と喩えられるように、仏が仏の知見を開き、仏の知見を我々衆生に対して示されると、衆生は仏の知見を悟り、仏の知見に拠って日々の生活を送っていく、この仏知見を中心とした仏と我々衆生の関係がつまり「一大事因縁」という、『法華経』にいう「一大事(仏がこの世に出現された)・因縁(理由)」として説かれるものです。
 以上のように「一大事」とは、本来は「仏がこの世に出現されるほどのとても大きな事」を指し、もとは良い意味の言葉でしたが、現在は主に悪い意味で大きな問題などが起こった時に用いられています。
掲載日:2011年10月06日

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